『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』

http://sekai-shinryaku.jp/

これ見たばっかりだから、トランプ政権になることに、ムーア氏はどう思ってるのだろう、と気になっていた。

「マイケル・ムーア トランプ政権」で検索すると、http://www.huffingtonpost.jp/2016/11/10/post-election-to-do-list_n_12907580.html

こういった、選挙後にやることリスト、や、ムーア氏が行動してることがわかる。

なるほど、トランプ抗議デモの背景には、きっとこういう何人もの頭脳があるのだろう。

それが、うまく機能していくのか、アメリカの良心がどうなっていくのか。

で、世界侵略のススメは、たくさんの日本人に見てもらいたい作品だと思う。

この中には、本当に大切で、今の日本が課題とすべきことも盛りだくさんなのだ。

また、このまま、アメリカ追従型になっていけば、給食もああなっちゃうのかもしれませんよ、子供たちよ、保護者たちよ、という段階から話せば、危機感が伝わるのかなあ、とか思った。

さて、暗い話ばかりでなく、最後に、オバマ大統領のラストスピーチの記事のアドレスをのせておく。http://www.huffingtonpost.jp/2017/01/19/obama_n_14265536.html?utm_hp_ref=japan

|

「三代目、りちゃあど」東京芸術劇場

野田秀樹潤色の言葉遊びあふれる、リチャード三世を、シェイクスピア(作家)とシャイロック(作中人物)の戦いという、現実と虚構の、どっちから見たらどっちが正しいの?的なお話。

日本語オンリーで突っ走られても、頭がついていくのが精いっぱいな野田作品なのに、今回は、オン・ケンセン演出で、英語、インドネシア語には字幕がつき、日本語も歌舞伎、狂言、方言の三様も。舞台装置はほとんどないのだが、デコラティブな白を基調とした衣装と、照明、映像が流れ、頭をめぐることばとともに、終始一貫して眩惑的だ。

何より、男女の別もあいまいにされていて、主役のりちゃあどが、女形の中村壱太朗で、彼は美しいまま中性な感じなのだが、江本純子はまあ男役なのでひげもわかるが、たきいみきは妻とかの女役なのにひげをつけている。動きもスタイルも女性的でひげ、というのが、すっごく違和感で、それは、芝居を観る時、自然と脳が「この役は男、これは女、これは子供・・・」などと、カテゴライズして記憶し、話の筋道をたどったり先回りしたりしようとするからで、一人何役かをこなし、男女別が混合すると、脳が混乱するからのようだ。同じ舞台で三か国語が、飛び交うのも初めての経験で、近未来っぽい衣装とあっていたとおもう。

壱太朗が、声といい可愛らしさといい、華があった。シェイクスピアの弟役の時など、本当にかわいくって、「これじゃ、お母さんが弟の方をかわいがっちゃうよな」と、シェイクスピアがかわいそうになったほどだ。

シャイロックのジャニス・コーが、小柄なのに、実に鋭利な視線と動きで、少年のような活躍ぶり。彼女の英語だと、解らなくても解ったような気がするほど、うまかった。

久世さんと、江本さんの使い方が、いまいちだったように思う。もっとはじけた演技ができる人たちだと思うだけに残念だが、演出方針なのかなあ?久世さんにはヅカ出ということなのか、昭和歌謡曲を歌うシーンがあったのだが、もっと客席がわくように謳い上げてほしかった。でも、ワスレガタミ役の時の久世さんが、王子様っぽくて、かっこよかった。

シェイクスピアとりちゃあどは、蛍光の口紅で、この口紅でおばQに見えないのは芸の力か、と。狂言方の茂山童司の発声の正確さはさすがで、あの野田本を、よくあれだけ聞かせてくれる。この二人の軸のぶれなさは、見ていてさすがだ。

たきいみきちゃんの、美しさは、ひげつけてても美しい。声が綺麗だし。

面白かった!!ので、帰宅後、野田脚本を読んでみた。当時の配役が知りたくなった。しかし、脚本読むと改めて、オン・ケンセンの再構築ぶり、特に、複数役のまぜかたが面白いなあと思った。それは、アジアの伝統芸能をコラボするという彼の思想が、深く野田の作品に感銘・感化されたというこの機会をもって、怒涛のように花開いた結果なのかもしれない。

|

ふつうの人並み

ふつうの人みたいにできない、ってすぐ落ち込んできた。「ふつう」って怖い言葉だ。元気な人もいれば、病気の人もいる。持病があっても元気に外出できる人もいれば、家から出られない状態の人もいる。その人それぞれの、その年齢それぞれの「ふつう」があるはずなのに。

元気で仕事ができて、人と明るく話せて・・・ってできたら、それは逆に「ふつう」じゃなくて「理想」になっちゃってるのに、「理想」を「ふつう」と思い込んでしまう。そうなると、脳は、その判断基準で、それ以下の状態の自分を責めるようになるんだなあ。

自分の身体の状態に波があって、できることとできないこと、できる時間が限られてることを、嘆かないで、「できることがある」方を喜びたいな。

ちょっとしたことができても、すごくうれしい!逆にそれほどの喜びは、私が思う理想的に元気な人たちでは味わえないんだから。と、思っちゃってもいいのだから。

|

«ドン・ジョバンニのあとで